2020年の指導例① SAPIX→中高一貫校→大学推薦(2021年受験)

受験が差し迫っていますね。多くの生徒がラストスパートで必死に勉強に励んでいることと思います。

僕の家庭教師としての指導も、今年は受験生が多く多忙なのですが、2人すでに指導が終了しました。そのうちの1人(A君とします)を、今年の指導例としてシェアします。

8年前、A君が5年生の時に指導を開始しました。彼はSAPIXに通っており、真ん中から下のクラスでした。苦手教科だった理科の指導を主にしていました。当時反抗期が始まっており、ご両親との勉強を断固拒否し、ご両親も中学受験の経験がなく、どう導いていけばよいのか分からない状態でした。

反抗期で手が付けられなく感じられる生徒でも、教師と11で反抗する子はほとんどいません。落ち着いて週2時間〜4時間、苦手教科を一緒に勉強した結果、SAPIXで真ん中くらいをキープできるようになり、結果的に明大中野に進学することになりました。

合格が決まった後も、英語や数学を先取り指導することになりました。本人の反抗期は全く収まっていなかった上に、英語に苦手意識が強く何から手を付けて良いか分からない状態でした。私立中学には英語をしっかり経験してきた生徒が多くいる中でついていけるだろうかと、本人もご両親も心配のようでした。

中学・高校は、学校の定期テストで点数を取ることと英検に集中して勉強しました。ほとんどの生徒が大学に進学できる中高一貫校であったこともあり、塾に通って大学受験向けの勉強をするというよりは、確実に希望の学部に進学できることと、英語の実力をつけることに主眼をおいていました。

中高一貫校であっても、日本の英語は基本的に文法が重視されます。これは今も昔も変わりません。それをしっかり勉強したことで、中学高校では上位をキープしていました。大学進学のための成績が取れることが分かってからは英語のリスニングの勉強が中心になりました。授業中英語だけで話したり、リスニング教材のディクテーション(ネイティブが話したことを全て文字に書き起こすこと)をひたすらやっていました。

先日、無事に希望の学部に進学が決まったので指導終了となりました。8年前よりも明治大学の難易度が格段に上がっており、楽に(?)明治大学の希望の学部(かなり入るのが難しい学部)に行けたことは、結果的に大成功だったとご両親にも喜んで頂けました。

高校生になってからは、LINEで勉強の質問に答えていたのですが、そちらでのやりとりは今でも続いています。8年も一緒に勉強してきたので、僕も彼も今は寂しい気持ちが強いですが、LINEで雑談(将来の職業や恋愛の相談なども!)ができるので、今は良いですね。最後には勉強の主導権は完全にA君が持っていて、僕はいわゆるメンターであろうとしていました。

8年もあると、成績が上がったり下がったり、勉強のモチベーションも上がったり下がったりするのですが、ご両親が勉強習慣の一貫として僕との勉強を続けさせてくれたおかげで、非常に気持ちよく指導を終了することができました。

この所ずっと予定がいっぱいで新しい生徒をお断りしていたのですが、進学が決まる生徒が少しずつ出てきて、新しい生徒の募集を再開しました。新学年からの指導もお受けしているので、興味のある方は体験授業をお申し込みください。

家庭教師と個別指導の違い

「このままではうちの子の勉強がマズイ」と感じた場合、ご両親はどのような対策を取れるでしょうか。

ベイタウンで一番多いのは「中学受験直前に実力が足りない」です。ついで「中学受験用の塾についていけない(分からないところが溜まっていってしまう)」ですね。

その他には中学・高校での定期テスト対策や大学受験などがありますが、どんな年代の子供であっても、本人の勉強だけに任せていては塾(学校)の進度についていくのが不安だという場合、ご両親が取りうる選択肢としては主に5つあると思います。

  1. お説教で「もっと勉強しなさい」と言う
  2. 親が教える
  3. 塾の質問教室に行く
  4. 個別指導教室に通う
  5. 家庭教師を雇う

1から5へ進むにつれて、お金がかかり、ご両親にも覚悟も必要になります。コストを重視するならば、低い段階で済ませ、高い段階への延焼を防ぎたいものです。

 

1の「お説教」はほぼ効果がない

もう十分にお説教はしているでしょう。何度言っても、より強く言っても、悪影響こそあれ、成績が改善することはありません。ご両親が時間・覚悟・お金・手間をかけて、取り組む姿勢を見せることがなければ、何も変わりません。

 

2の「親が教える」は最高だが、難しい

「親が教える」は、最高のオプションです。子供は親が出来ることは自分も出来るようになる・ならねばならないと信じます。自然と勉強への意識も高まります。

ただしご両親が教えるのは現実的ではない場合があります。仕事の合間を縫って親が教えようとしても、子供が言うことを聞かなかったり、覚えが悪ければイライラしてしまいます。また単純に親が問題を解けないという場合、あるいは解けたとしても良い教え方が分からないという場合が多いです。加えて、親の前で長時間座って勉強できる子供はあまりいないでしょう。親が子供を怒鳴りつけたりして、以後「パパ・ママとの勉強は嫌だ」と拒否されてしまうこともあります。

ご両親に十分な時間的・精神的余裕があれば良いのですが、現実的には難しいでしょう。

 

3の「塾の質問教室に行く」はアクティブな行為だが、時間効率が悪い

塾に通っている生徒にとっては、「塾の質問教室に行く」は最初に試してみるオプションです。良い所は

  • 塾なのである程度の監視が働いている(遊んだりしない・任せて安心)
  • 予め質問箇所を整理しておくこと自体が良い勉強になる
  • 質問しにいくこと自体がアクティブな行動なのでやる気につながる
  • 塾の講師がいるのでしっかりと答えてもらえる

悪い所は

  • 他の生徒が多いと1つか2つ質問して終わりになってしまう(時間をかけて塾に行っても実際に教えてもらうのは10分程度)
  • 自分の番を待っている間に集中して勉強していない場合が多い
  • 塾で個別に教わることを嫌がる生徒がいる(先生に怒られるのが嫌など)

分からない所が1個か2個で、生徒が自分で質問を整理して臨めるのであれば、最高の選択肢です。質問教室の混み具合や担当の先生のクオリティに左右されるので、ギャンブル的要素もあります。

 

4の「個別指導」は個人的に一番お勧めできない

個別指導を謳っていても、先生1人に生徒2人というのは、一番危険な指導形式だと思っています。僕自身、学生時代に個別指導でアルバイトしていたこともありますし、家庭教師として兄弟2人を同時に教えたこともありますが、これは一番成果が上がりにくい勉強方法です。

長所から言うと

  • 家庭教師よりは安価
  • 質問教室よりは多く教えてもらえる

短所は

  • 先生の質が低い。これが一番です。これは個別指導にいる先生達の人間性に問題があるのではなく、単純に個別指導の構造上、先生に対する報酬が低いからです。ご家庭の払う報酬が、施設の運営費や運営者に分配されるために、実際に教える先生にはあまり支払われません。報酬が低い所に人材は集まりません。結果として、室長以外はアルバイトあるいは学力の低い先生が多くなります。子供に対してどう教えるのが分からず、自分の解き方を押し付けて、生徒が「?」となる場合が多いです。また先生自体の学力が足りず、問題が解けない場合すらあります。塾の先生やプロの家庭教師に比べ、そもそもの学力・経験が劣るうえに、2人を同時に見ているので、ほとんど「監視員」にしかならないことがあります。
  • 教師が指導に集中できない。僕も経験がありますが、同時に2人の生徒を見るのは、ものすごく疲れるんです。生徒側から何を質問されるか分からない状況で、問題を即座に解いて、分かりやすく指導すると言うのは、スピード勝負ですし、ものすごく集中力がいるんですね。1人が限界なんです。2人同時の個別指導では待たせる方の生徒にもある程度の指示を与えなければならない、指導報告書も時間内に書かねばならない、2人に教える内容が全然違う、ということがあり、教えることに集中できないんですね。
  • 生徒が「勉強しているフリをする癖」を身につけてしまう。これはその後の生徒の勉強態度に影響を及ぼす大問題です。2人同時の授業で、待っている方の生徒は大体ボーッとしています。先生がもう片方の生徒に教えるのをぼんやり聞きながら、先生に怒られない程度にノートに何か書いて、勉強疲れを癒しています。待っている間に自分で進められるところを自主的に進められればいいんですが、『勉強を緩やかに監視されている』『せっかく自分の勉強に集中してもいつ自分の番が回ってきて中断されるか分からない』『すぐそこに先生がいるのに質問がすぐできない』という状況が、勉強の自立を妨げるのにぴったりの環境なんです。
  • 時間効率が悪い。単純に半分。実際はそれ以下の時間しか身についていないはずです。

悪いことをたくさん書きましたが、僕自身の経験を踏まえた本音です。ただし1対1の個別指導で、先生のクオリティが高ければ、何の問題ありません。個別指導でも時間帯によっては1対1にしてもらえることもありますし、室長は能力が高い場合が多いので、室長に見てもらえるのであれば問題ないでしょう。

コストを抑えつつ、そこそこの理解度(成果)でいいので、決まった時間生徒を預かってもらいたい、というニーズがハマれば、2対1の個別指導も良いでしょう。

 

5の「家庭教師」も万能でない

悪い所は

  • 価格が高い。これは大問題です。塾や学費に加えて、家庭教師の料金まで払うのは大変です。これは家庭教師が暴利を貪っているわけではなく、高学歴の専門家を拘束する時間(2時間の指導で移動時間含め約4時間の拘束・かつ平日は1日2人程度しか教えられない)を計算してみると、妥当な値段なのですが、だとしてもほとんどのご家庭からすれば異常に高いことには変わりありません。
  • 生徒の自立が損なわれる場合がある。塾の質問教室に行く場合は、問題を自分で解いてみて、疑問点を整理してから行くはずですが、家庭教師の場合は「大体この辺りが分からないから何とかして!」という感覚でいることが多いです。ご両親も「先生に任せておけば大丈夫」と安心してしまう場合があります。ですが、勉強は自主性が一番大切です。先生に来てもらうだけで満足せずに、どうすれば一番先生を生かせるのか、工夫する必要があります。

良い所は

  • 1対1で、集中して、その子に合った勉強が出来るということ。
  • 疑問点を解決するのが早い。早いということは、できる量が多いということです。

疑問点を解決するのに手っ取り早く効率が良いですが、値段が高いということですね。どうすれば一番効果が出るのか考えて、生徒の自立性を損なわないように利用すべきだと思います。

 

結論:個別指導VS家庭教師

結局は、生徒との相性や、担当の教師のレベル次第ですが、一般に2対1の個別指導はオススメできません。上記リストの1~3までで何とか頑張って、それでも問題が解決しないのであれば、個別指導の半分の時間で良いので、家庭教師に頼んだ方が良いと思います。

個別指導に行って半分勉強して、半分ボーッとしているくらいならば、家庭教師で集中して、余った時間は読書するなり、外で遊んだ方がずっと健康的です。

 

いかがでしょうか。自分が家庭教師なので贔屓目になっている部分もあると思いますが、宣伝のつもりでなく正直な考えを書いたつもりです。

どの形式も一長一短がありますが、子供の様子をよく見て、ご両親がバランスのよい判断をしてあげることが大切だと思います。

2019年の受験生報告②

今年の受験生の報告、第2弾になります。今年の受験生報告①(中央法学部合格)は、以前のブログ(アメブロ)の方にあります。

この生徒(A君とします)は浪人生で、10月の終わりに依頼を頂き、国語を指導しました。結果から言うと、慶應の経済学部に合格しました。

彼は本来理系で、早慶を志望していたのですが、現役の時に合格を貰えず、予備校に通っていました。僕が依頼を頂いた10月の終わりは、受験にとって直前期です。

A君は既に十分な力がありました。何よりも自分の学力を客観的に判断し、今何をしなければならないかを把握し、それをやり抜く力を持っていました。つまり元々とても優秀な生徒でした。

A君はいわゆる有名な私立中高に通っていたわけではなく、学校内ではトップクラスだったようですが、受験的なノウハウは不足していて、予備校に1年間通うことで力がついたのでしょう。

そうは言っても、早慶を受験するにあたって、『確実に合格できる』と安心できるレベルに達することは、相当に難しいことです。まして最近は都内の私立大学の定員が減らされ、早慶明治あたりはどんどん難化しています。彼の場合、もともと理系だったこともあり、国語はなかなか合格点に達しないようでした。

そこで国語は僕、英語は別の先生に依頼し、直前に『あと一押し』をすることになりました。

A君は国語に苦手意識があり、『国語で稼ごうとはしていない』とよく言っていました。そこが彼の現実的な所でもあり、その戦略は成功したのですが、そうした自信のなさからか、『彼は国語を数学のように解こうとしている』と僕は感じました。

国語が苦手な生徒が陥りがちなのですが、『解法のコツ』というものに囚われてしまい、数学のように一定の公式にはめ込めば国語の問題だって解けるはずだ、と考えてしまうんですね。ですが国語の『論理』というのは、そんなに浅いものではありません。というのは数学と違い、国語の論理は、その要素となる単語・言葉・概念自体に定義の揺れがあるからです。

僕がA君に伝えたのは、『国語は数学とは違う』『本文を理解しなければ、設問をいじくっても答えにはたどり着かない』ということでした。もっと簡単に言うと『本文を楽しめ』ということでした。彼は国語に苦手意識がありましたが、苦手でも文章を楽しんでいけないわけはないですし、『苦手だ、苦手だ』と思い続けて読んでいては、得意にもなるはずがありません。

実際、ある科目に対する苦手意識などは、ほとんど思い込みです。現に彼は十分な読解力を持っていました。文転したことと、国語の勉強に十分な時間を割いていないことに、コンプレックスがあっただけなのです。

僕との勉強は過去問を先に解いておいてもらい、解けなかった問題・理解できなかった問題を解説する形でしたが、テクニック的なものよりも、本文をちゃんと理解しているかを確かめるようなものでした。彼は、ぶつ切りにされた部分部分の問題ではそれなりに正解していても、文全体の筆者の主張はまるで分かっていない、などということもありました。

それは特定の話題に対する論点が整理されていなかったからです。例えばTPPについて。TPPがどういうもので、どの国のどういう立場の人がどういう意見で、また別の立場の人がどういう意見で、、、ということが予め整理されていれば、いざ出題された時に筆者がどういう立場なのか把握しやすくなります。逆に予備知識が全くなくては、いくら本文中に答えがあるといっても、試験時間内で正確に全体像を把握するのは難しいでしょう。

毎回の授業で過去問を解くたびに、話が脱線することが多くありました。数問解くだけでも、いくらでも話すことがあり、時間が足りないくらいでした。そうしてその話題に関する全体像を掴み、その中で筆者がどの立ち位置なのかを考えられるようにしたつもりです。

古典(古文・漢文)に関しては、それほどの前提知識はいらないのですが、現代文よりもさらにテクニック的な部分に注意を削がれがちです。文法や単語の知識を詰め込むだけの勉強になりがちなんですね。上位校はそれだけでは合格できません。文法や単語は単なる道具であって、結局は作者の意図やストーリー展開や物語の味わいを理解できるようにならなければ読んだことになりません。しっかりした大学ほど、そうした部分を逃さずに問題として設定してくるんです。

古典に関しては、僕が「ここの文いいよね」と言い、A君が「よさが分からない」などと答えることがよくありました。彼はわりと現実的なしっかり者(経済学部的)で、僕はふわふわした空想的な人間(文学部的)なので、そうしたやりとりになったのでしょう。でも彼は僕の言うことに敬意を払って聞いてくれました。短い間でしたが、国語とは何か、文を読むとはどういうことなのかを考えるきっかけくらいは与えられたと自負しています。

受験は国語だけではありませんし、彼はもともと優秀な生徒でしたし、僕が教えたのは短い期間だったので、合格実績などというのもおこがましいのですが、こういったタイプの指導もあるのだということで報告させて頂きました。