2019年の受験生報告②

今年の受験生の報告、第2弾になります。今年の受験生報告①(中央法学部合格)は、以前のブログ(アメブロ)の方にあります。

この生徒(A君とします)は浪人生で、10月の終わりに依頼を頂き、国語を指導しました。結果から言うと、慶應の経済学部に合格しました。

彼は本来理系で、早慶を志望していたのですが、現役の時に合格を貰えず、予備校に通っていました。僕が依頼を頂いた10月の終わりは、受験にとって直前期です。

A君は既に十分な力がありました。何よりも自分の学力を客観的に判断し、今何をしなければならないかを把握し、それをやり抜く力を持っていました。つまり元々とても優秀な生徒でした。

A君はいわゆる有名な私立中高に通っていたわけではなく、学校内ではトップクラスだったようですが、受験的なノウハウは不足していて、予備校に1年間通うことで力がついたのでしょう。

そうは言っても、早慶を受験するにあたって、『確実に合格できる』と安心できるレベルに達することは、相当に難しいことです。まして最近は都内の私立大学の定員が減らされ、早慶明治あたりはどんどん難化しています。彼の場合、もともと理系だったこともあり、国語はなかなか合格点に達しないようでした。

そこで国語は僕、英語は別の先生に依頼し、直前に『あと一押し』をすることになりました。

A君は国語に苦手意識があり、『国語で稼ごうとはしていない』とよく言っていました。そこが彼の現実的な所でもあり、その戦略は成功したのですが、そうした自信のなさからか、『彼は国語を数学のように解こうとしている』と僕は感じました。

国語が苦手な生徒が陥りがちなのですが、『解法のコツ』というものに囚われてしまい、数学のように一定の公式にはめ込めば国語の問題だって解けるはずだ、と考えてしまうんですね。ですが国語の『論理』というのは、そんなに浅いものではありません。というのは数学と違い、国語の論理は、その要素となる単語・言葉・概念自体に定義の揺れがあるからです。

僕がA君に伝えたのは、『国語は数学とは違う』『本文を理解しなければ、設問をいじくっても答えにはたどり着かない』ということでした。もっと簡単に言うと『本文を楽しめ』ということでした。彼は国語に苦手意識がありましたが、苦手でも文章を楽しんでいけないわけはないですし、『苦手だ、苦手だ』と思い続けて読んでいては、得意にもなるはずがありません。

実際、ある科目に対する苦手意識などは、ほとんど思い込みです。現に彼は十分な読解力を持っていました。文転したことと、国語の勉強に十分な時間を割いていないことに、コンプレックスがあっただけなのです。

僕との勉強は過去問を先に解いておいてもらい、解けなかった問題・理解できなかった問題を解説する形でしたが、テクニック的なものよりも、本文をちゃんと理解しているかを確かめるようなものでした。彼は、ぶつ切りにされた部分部分の問題ではそれなりに正解していても、文全体の筆者の主張はまるで分かっていない、などということもありました。

それは特定の話題に対する論点が整理されていなかったからです。例えばTPPについて。TPPがどういうもので、どの国のどういう立場の人がどういう意見で、また別の立場の人がどういう意見で、、、ということが予め整理されていれば、いざ出題された時に筆者がどういう立場なのか把握しやすくなります。逆に予備知識が全くなくては、いくら本文中に答えがあるといっても、試験時間内で正確に全体像を把握するのは難しいでしょう。

毎回の授業で過去問を解くたびに、話が脱線することが多くありました。数問解くだけでも、いくらでも話すことがあり、時間が足りないくらいでした。そうしてその話題に関する全体像を掴み、その中で筆者がどの立ち位置なのかを考えられるようにしたつもりです。

古典(古文・漢文)に関しては、それほどの前提知識はいらないのですが、現代文よりもさらにテクニック的な部分に注意を削がれがちです。文法や単語の知識を詰め込むだけの勉強になりがちなんですね。上位校はそれだけでは合格できません。文法や単語は単なる道具であって、結局は作者の意図やストーリー展開や物語の味わいを理解できるようにならなければ読んだことになりません。しっかりした大学ほど、そうした部分を逃さずに問題として設定してくるんです。

古典に関しては、僕が「ここの文いいよね」と言い、A君が「よさが分からない」などと答えることがよくありました。彼はわりと現実的なしっかり者(経済学部的)で、僕はふわふわした空想的な人間(文学部的)なので、そうしたやりとりになったのでしょう。でも彼は僕の言うことに敬意を払って聞いてくれました。短い間でしたが、国語とは何か、文を読むとはどういうことなのかを考えるきっかけくらいは与えられたと自負しています。

受験は国語だけではありませんし、彼はもともと優秀な生徒でしたし、僕が教えたのは短い期間だったので、合格実績などというのもおこがましいのですが、こういったタイプの指導もあるのだということで報告させて頂きました。